講師と塾長紹介

講師による丁寧なサポート
講師による丁寧なサポート

名学館 小牧新町校の学習システムはグループ個別指導になります。

「生徒が100人いれば、100通りの指導方法がある」

名学館 は、1988年の開校以来このポリシーを掲げながら、生徒一人ひとりのパーソナリティに合わせた細やかな個別指導を行ってきました。

そして、名学館 小牧新町校では「塾長」がすべての生徒の指導にあたるという形をとっています。

テスト前講習会
通常授業風景

以前は、通常の集団個別指導(担当講師1人:複数生徒)のスタイルでしたが、私が担任をもってしまうと他のブースの生徒とのコミュニケーションがどうしても希薄になってしまいました。

そんな中、従来のテキストによる指導から、「eトレーニング」というプリント学習による指導を取り入れることで

生徒が自ら学び、

『塾長がすべての生徒の指導をする』

ことが可能となりました。

お子さんの様子をしっかりと塾長が責任をもって把握できるのは、小さな個別指導学習塾だからこその大きなメリットです。

もちろん、小さな個別指導学習塾とはいえ、1回の授業には10名以上が授業を受けますので、

塾長をサポートしてくる信頼できる「講師陣」がいます。

大学生講師による指導風景

個別指導学習塾での講師は「先生であり、そして先輩」です。

半数以上が名学館小牧新町校で学んだ卒業生が講師として、後輩へ指導をしています。

それぞれの勉強経験や、学校での体験を聞くことにより生徒たちはより未来の自分を明確に描くことができます。

これは塾長一人の経験だけではできません。

何よりもお子さまに感じてほしいのは、わかる楽しさを講師や友だちとシェアする喜び。

そう、 名学館 はただ勉強するだけの塾ではなく、みんなが笑顔で成長できる

“学習コミュニティ”

なのです。

小学生から高校生まで、どんな成績のどんな生徒も全力サポートしていきます。


講師紹介

塾長
塾長

いつも塾長のサポートをしてくれる、お兄さん、お姉さん講師です。
勉強のやり方は、やさしく教えてくれます。

mone-sensei


①得意科目

英語
②大学で学んでいること
管理栄養士になる為に勉強しています!!
③将来の目標
自分の想いを伝え続け、人の気持ちに寄り添うことができる管理栄養士になること
④趣味
YouTubeを見ることと買い物です
⑤生徒に一言
分かった!!って言ってもらえるまで何十回でも何百回でも話します!教えます!
みんなの勉強のサポートをさせてください!
私と一緒に勉強しましょう!!

miyu-sensei

①得意科目
数学
②大学で学んでいること
プログラミング、3DCG、映像等
③将来の目標
デザイン関連の職に就くこと
④趣味
カラオケとゲーム!
⑤生徒に一言
分からないところがあれば気軽に話しかけてね!待ってます🎶


①得意科目
英語
②大学で学んでいること
経営学
③将来の目標
自分のやりたいことを見つける
④趣味
美味しいご飯屋さん巡り
⑤生徒に一言
楽しく覚えやすく教えれるように頑張ります!

 

①得意科目
国語
②大学で学んでいること
国語教師になるための勉強
③将来の目標
国語教師になる!!
④趣味
お菓子作りとYouTubeをみることと映画鑑賞
⑤生徒に一言
分かりやすく教えられるように頑張ります!一緒に苦手を克服していきましょう!


こんな塾長です。

名学館小牧新町校 塾長 吉澤潔
名学館小牧新町校 塾長 吉澤潔

勉強しているのに成績が上がらない。

頑張っているのにできない。

「やればできる」ではなくて、「やっていても出来ない」そんな声をよく聞きます。

それはちょっとポイントがズレたやり方をしているのかもしれませんね。

名学館 小牧新町校ではそんな生徒一人一人を見て適切なサポートをしています。

勉強には「根気」「環境」が必要です。

私どもはその両方を兼ね備えた塾です。

塾長年表

1976年  小牧市で生まれる
1977年  覚えてないけど、父の転勤で京都に移り住みます。
1980年頃 今度は名古屋に移住。
1989年  名古屋市立大森小学校卒業
1992年  名古屋市立大森中学校卒業
1995年  愛知県立松蔭高等学校卒業
1999年  三重大学工学部電気電子工学科卒業
2001年  三重大学大学院博士前期課程電気電子工学専攻修了

2001年  日本特殊陶業に入社
2008年  独立して名学館小牧新町校を開校

塾長が塾長になるまで(物語形式)

1983年  名古屋市立大森小学校に入学

小学校低学年の頃は全く勉強していなかったので、クラスで九九に合格できたのが最後だった記憶があります・・・。

ただ、負けず嫌いだったので、小学3年生頃から小さな学習塾に通いはじめました。

その頃から勉強が好きというよりも、周りの友達に負けたくないという気持ちで勉強を頑張っていました。

また、3つ上の兄がいたので兄がやったことを真似して学級委員なども積極的にやり始めたのが小学高学年頃。

小学校6年生ではサッカー部にも所属していましたが、特に部活に熱中するということもありませんでした。

小学校低学年ではよろしくメカドックを見て、チョロQで遊ぶ毎日。

よろしくメカドック
よろしくメカドック

小学校高学年ではミニ四駆全盛期でしたが、愛車のマイティ―フロッグというラジコンを改造して遊ぶ毎日でした。

マイティフロッグ
マイティフロッグ

・タイヤやホイールの交換
・バッテリーの大容量化(7.2V→8.4V)
・ボールベアリング化
・スタビライザーの追加
・ウイングの大型化
・モーターの変更
・別体オイルダンパー化
などなど

とにかくこの頃からチューニング(改造)するのが大好きな子供でした。

1989年  名古屋市立大森中学校に入学

小学校ではサッカー部に所属していましたが、残念ながら中学校にサッカー部がないということで、公立中学校では珍しい硬式テニス部に所属。(最近はラケット握ってないな・・・)

各学年で室長を務めていたこともあり、中学校3年生の時には先生の推薦で生徒会 副会長もやっていました。

中学1年から地元の小さな学習塾に通って部活と勉強を両立。

(いや、部活は大してがんばっていなかったかな・・・)

このころは自分のペースで勉強をやりたいと思っていたので自由な校風の公立高校を目指してがんばっていました。

1992年  愛知県立松蔭高等学校に入学

松蔭高校
松蔭高校

自宅は守山区、学校は中村区ということで電車で片道1時間程度毎日通学していました。

そして、中学では硬式テニスをやっていましたが、なんと高校には硬式テニス部がなく軟式テニス部のみ(泣)さすがに、硬式から軟式に移りたくはなかったので他の部活を探すことに・・・

なんとなく・・・・憧れていた器械体操部に見学に行く・・・楽しそうだったのでそのまま入部。

当時松蔭高校ではサッカー部がとても強く有名でしたが、体操部は顧問の先生はいたけど部活には来ない・・・というとても自由な部活でした。先輩が後輩に指導するスタイルが伝統でしたね。

そんなわけで、高校ではそれほど強くはないけど面白い体操部を中心に生活をしていましたが、勉強ももちろんがんばっていました。

子供のころからプラモデルやラジコンが好きで物を組み立てたり作ったりすることが好きだったので早い段階から理系に進みたいと思っていました。中でも自動車が好きだったので漠然と機械工学を学びたいと思っていました。

目指すなら地元で一番の大学!!(地元って・・・目標が低いか??)

と、いう訳で名古屋大学をひそかに狙っていました。

が、実は英語が苦手だったので早い段階であきらめて、
第一志望 名古屋工業大学 工学部 機械工学科
第二志望 三重大学 工学部 電気電子工学科

を受験。

結果は・・・

三重大学 工学部 電気電子工学科に進学しました。

1995年  三重大学工学部電気電子工学科に入学

三重大学工学部
三重大学工学部

中学高校時代に部活でやっていた部活が存在しないという経験をしていたので、大学では工学部と体操部がある東海地方の大学への進学を考えていました。

もともとは自動車関係の勉強=機械工学と思っていたのですが、自動車には電気電子部品も多いことや高校時代に電子回路について興味をもったのでこの分野への進学を決めていました。

大学入試の面接でもドライバーと対話ができる自動車の開発を将来やりたいと言うほどでした。
(わかる人にはわかると思いますが本気でサイバーフォーミュラのような車を作りたいと思っていました。)

サイバーフォーミュラ
サイバーフォーミュラ

4年次には衛星通信工学の研究室に進み、そのまま大学院に進学することを決めました。

1999年 三重大学大学院 博士前期課程 電気電子工学専攻に入学

もともとは大学4年で卒業して就職をするつもりでしたが、
・大学生活が楽しかった
・就職氷河期で理系でも就職が難しかった

という2つの理由から大学院の試験を受けました。

大学4年間と大学院の2年間で家庭教師と、大学受験専門塾での講師をやっていました。
このときの経験はいまの職業を決めるのに大きな影響を与えたのは間違いありません。

ただ、やはり車が好きでアルバイト代のほとんどを車のチューニング代に消えていっていました・・・。

2001年 日本特殊陶業に入社

大学院2年のときの就職活動では、やはり車が好きということで自動車部品メーカをいろいろと探していました。

自動車メーカーにしなかったのは、いろんなメーカーの車に乗りたいから!!

そして、大学に来ていた求人の中でも名古屋に本社がある日本特殊陶業を受けることに。

日本特殊陶業というとピンとこない人もいると思いますが、点火プラグのNGKです。

NGKスパークプラグ
NGKスパークプラグ

7年間自動車部品の酸素センサーの品質管理に携わりましたが、あまりにもハードな環境だったため体調を崩し退職をしました。

2008年 独立して名学館小牧新町校を開校